2015.9.21
「認知症の人とRUN伴2015。」
敬老の日の今日、「RUN伴2015」に参加して参りました。写真の前段左端は、我が朝霞市商工会青年部に所属する今成崇司君です。彼は、埼玉県では初参加となる「RUN伴2015」スタッフとして、イベントの大成功へ向けて奮闘しています。(^^)
「RUN伴」とは、私たちが暮らすすべての地域を、認知症になっても安心して暮らしていける地域に変えていくという使命のために、NPO法人「認知症フレンドシップクラブ」が展開するランニングイベントです。認知症の人や家族、支援者、一般の人が少しずつリレーをしながら、1つの襷をつなぎ、ゴールを目指します。
↑こちらは「栃木・埼玉」のFBページです(^^)v
一緒に走った娘は早々にリタイアでした。皆さんご迷惑をお掛けして申し訳ない(>_<)
僕は、たとえ認知症になったとしてもその人自身が望む暮らしを続けていくことができる社会づくりをモットーに、認知症の人の介護、医療、暮らし、法律と、一貫して認知症の人に関わる仕事に携わってきました。インターネットやSNSの普及によって、近年では特に青年世代と言われる人達が、パワフルにメッセージを発信し続けています。心強い限りです。
以前から折があるとお話しさせていただいてきましたが、「福祉」とは難しいものでも取っ付き難いものでもなく、実は誰の心の中にもあるものです。イベントでも、身近なことでも、きっかけは何でも良いのです。ふと考え、何かを感じ、何かに気付き、自分で出来る一歩を踏み出す。それがどんな一歩かは分かりませんが、そのような気付きと行動の輪が広がれば、世の中は必ず変わります。
せっかく認知症の人に関する話題に触れたので、2008年10月、敬愛してやまない福祉の仕事に携わる先輩達が発表した「お福の会宣言」というものを紹介します。新宿「お福」はもう閉店しちゃったのですが(笑)、まだ都内で働いていた頃に、夜な夜な酒を飲みながら語り合った場所です。
「お福の会宣言」
人は人として生まれ人として死ぬ
そしてその過程で誰もが
認知症という病に遭遇する可能性をもっている
かつて認知症になると
「人格が崩壊する」「こころが失われる」と恐れられた時代があった
だが、今や私たちは知っている
認知症になっても自分は自分であり続けることを
月が欠けているように見えても
月が丸いことに変わりはないのと同じである
自分が、認知症になっても
家族の一員、社会の一員として、友人として
権利と義務とを有する国民の一人として生活を続け
人生を全うしたい
同じように
家族や友人が認知症になっても
ともに人生の旅路を歩き続けたい
「お福の会」は
そういう思いをもつ市民が
本人や家族
医療、介護、行政、その他の立場を超えて集う場である
認知症になっても
生活の主体者として人生を全うできるように
私たちは力を尽くしたい
(以上)
僕ら商工会青年部世代でも、自分の親や祖父母、そして自社の従業員やその親だったりと、実は身近なことでもあります。無関心だったことに関心を向ける、それだけでも素晴らしい第一歩だと僕は考えています(^^)v